2011年2月24日木曜日

絵里のお話(7)

前回の記事は、『偉大なる哲学者達は笑顔を絶やさない~ずっと其処にいたい僕たち』に携帯電話の描写がないのは「時代考証を無視するのは、確かに難しいが、本編でのアイテムの拠出判定はそれ以外にあります」という文著者の紺堂さんのコメントがあったというところで終わっていますが、今回はその種明かしをします。
当方で記録しているところでは、確かに紺堂さんの『偉大なる・・・』は平成18年が初出です。
原案である『不思議の国のEriS』は平成9年の発表ですので、普通に見れば当に紺堂さんのコメントの前半どおり時代考証を行ったということかと思います。
ところが、なぜ後半打ち消しているのか?
それは、紺堂さんの真の発表日の存在だったのです。
紺堂さんが『偉大なる・・・』を製作したのは平成11年冬~平成12年春にかけて。
その作品を原案者の丸木戸さんに校閲してもらい、コバルト文庫新人賞(現在はノベル大賞)に応募したのが12年の夏です。
残念ながら、一次選考にも残れず惨敗でしたが、丸6年間眠らせた後、斬捨御免を経て天真爛漫での発表につながったのです。
眠れた埋もれた作品をリバイバルさせたため、挿絵との乖離ができたというのが真相でした。
さて、次回は愛すべきサブキャラクターについて話をしていこうと思います。

2011年2月14日月曜日

絵里のお話(6)

以前のブログで、絵里のお話である『偉大なる哲学者達は笑顔を絶やさない~ずっと其処にいたい僕たち』のなかでは「現在の生活で欠かせない或るもの」があり、挿絵と本文がアンバランスになっていると紹介したところです。
今回は、この或るものの答えを話します。
読者の方は、既にお気付きでしょうからズバリ言えば「携帯電話」です。
初出で丸木戸さんが書かれた『不思議の国のEriS』は、平成9年ですから、携帯電話はまだ一部の大人の使う物であり、高校生は専ら「ポケットベル」が主流でした。
本作『偉大なる哲学者達は・・・』においては、平成18年が連載第1回目でしたので、すでに高校生にとっても携帯電話は必需品に近く、物語のなかに登場してもおかしくなかったと思われます。
もちろん、文著者の紺藤さんは「前作を引き継ぐにあたり、時代背景を大きく錯誤することは難しい・・・」というコメントをいただいています。物語が、同じ時間軸上の話であれば、続編は当然時代考証をし、同じ背景を引き継ぐというのは、続編書きの定石です。
最近では、その定石を無視する続編を発表する作家も多いですので、紺藤さんにもその当たり突っ込んで聞いてみましたら「時代考証を無視するのは、確かに難しいが、本編でのアイテムの拠出判定はそれ以外にあります」との回答でした。
・・・これは、いったいどんな謎が?
次回はこの辺りを中心に、話をしていきます。

2011年2月5日土曜日

絵里のお話(5)

2つの「絵里」のお話があるのは、前回紹介済みですが、今回は「哲学者達は笑顔を・・・」の作者である紺堂さん話で、2つの「絵里」の違いにスポットをあてます。
【紺堂】「不思議の国のEriS」の絵里は、飄々としていて、周りのユニークなキャラクター達に流されながらも、心の強い自分を持っている少女でした。独特の世界観と、突出した演出に包まれた絵里は、青春ドラマの主人公と言うよりは、今風のライトノベルの主役といった感じでした。著作された時期を鑑みると、丸木戸さんの感性は時代の最先端をいくものだと、非常に感銘を受けます。これらを引き継ぎ、続編の絵里を描くときに、同じ演出をする技術を持たない私は、絵里の性格をにわかに変更しなければならない必要性に迫られました。そこで舞台を年次替わりに設定し、絵里の心境が変化するという方向を選択することにしました。絵里は、大学進学を控え進路に悩む、いわばどこにでも居る普通の女の子になってもらったのです。これにより、ドラマの世界観は大きく変化しました。ユニークで魅力的なサブキャラクター達は、こぞって皆、悩める人間くさい身近な人物像になっていきます。大人である渚と、大人になる途中の絵里とが、対等に人としてのあり方を語り合うシーンは、まさに「哲学者達」の象徴的な場面なのです。